ヒビノケイコさんの言葉から”らしく生きる”を感じる
「捨てる」という言葉から”らしく生きる”を感じる
「捨てる」と言葉には、いらないものはどんどん切り捨てる・・というイメージが大きい気がする。でも、選ぶものがあれば、選べないものがあり、自然と手放す状態になる(しかない)。それが、わたしの持つ「捨てる」の感覚。
— ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月16日
自分にとって必要か不必要か。それだけを感じればいい。わざわざ「捨てる」っていう言葉に固執することはないんだなって。自分と関わっている誰かが、自分を必要としなくなったら、そこに存在する感情は「捨てる」ではなくて「手放す」っていうだけで。必要になったら、それをまた「拾う」。それでいい。難しく考える必要なんてない。
人間関係でなぜ勢い付いた「捨ててやる!」「捨てられた」という言葉が発生するのか。奥には「寂しい」「つらい」「わかって」「悔しい」という感情・願いがあるのかも。でも、自分で痛みを真正面から味わうのが怖くて、人に攻撃的な言葉を向けてしまう。投げつけるように「捨てる」という行為を行う。 — ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月16日
「捨てる」という言葉をマイナスの意味で使う必要はないんですよね。「捨てる」っていう言葉には自分を守りたいっている感情が強く表れすぎている。もっと「手放す」っていう言葉に自分を置き換えていかないと、辛い思いはなくならないんだなって。
自分にとって有害なら、その状況を「手放す」こと。これだけなんですよね。
そうしたところで、痛みはなくならない。怒りや憎しみでコーティングしても、どこかに潜んだまま。ただただ、素直になること。痛みを痛みとして受け入れられたときに「自然に手放す」という優しい「捨てる」が、成り立つんじゃないかな。それは、「忘れる」ということでもある。
— ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月16日
「感情のもつ力」を感じる
健全ながんばりと、不健全ながんばり。気配りと、気使いと、気疲れの違い。競争と切磋琢磨。今日の対談記事では、いじめられがちな言葉のニュアンスについて話してみた。一辺倒に言葉を当てはめず、状況とニュアンスの違いを見極めること。モチベーションになるように言葉を使っていくこと。 — ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月16日
「誰かの束縛から自由になりたい」20代のころ、つねに思っていた。でも、実は不自由だったのは自分の心で。「感情豊かに生きたい」と思うあまり、「感情に振り回されていた」。
— ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月17日
「感情豊かにならなきゃ」とか「もっとがんばらなきゃ」っていう言葉、感情に振り回されることで自分本来の持ち味を殺してしまうこともあります。それだと、自分も周りも幸せになれない。もっと、素直に自分に身を任せて時間を生きる瞬間があってもいいんじゃないかな。
10できなくてもいい。1でも新しいパターンを作っていけたら。感情に振り回されるあまり、自分と周りも振り回す「野獣の素直さ」ではなくて、「人間の理性と感情の豊かさを併せ持った素直さ」を育てていけたらいいな。 — ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月17日
10個の中からひとつ、自分お行動パターンが確立されればそれでいい。全部を完璧になんて難しい。だから、嫌になって「捨てる」って選択をしようとする。無理にでもね。それはちょっと違う。そもそも「捨てる」なんて言葉は必要ない。今自分いっって必要なものだけ持てばいい。それは手のひらに収まる細大きさのものなのか、背負うものなのか、それは人それぞれ。
でも、わかっていることは「必要ないもの」まで持ち続ける必要なんてないってこと。使わないものはそっと「手放せばいい」。
なんでも「ストイックに完璧にやる・・・!」って最初から勢い付きすぎると続かない。いいとこも、悪いとこも、古いパターンも新しいパターンも、その時その時オッケー出して、「罪悪感にとらわれず、今からできることに注力する」でいこう。かたつむりのようなストイックさ・・・?
— ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年6月17日
ヒビノさんの言葉を見て、自分に必要なもの以外は置いていこう、そう思えました。