大人の持っている『常識』にとらわれることの弊害
大人の持っている常識と子供が持っている常識の違いが面白い。
※僕たちが当たり前だと思っている『常識』が間違っているというわけではありません。もちろん、常識やルールは大事です。僕もこのブログで、世の中のルールについて書いています。そのルールはどれも『当たり前』のことで、守るべき内容だと思っています。ただ、子供が感じている『常識』が大人とずれていることもあります。なぜ、ずれているのかを考えずに、ただ『常識』にとらわれて子供に常識を押し付けるのはちょっと違うなという出来事があったので、今回はその観点からの記事になっています。
これから紹介する内容は、僕の知り合いの保育士から聞いた話です。なるほどなって思った内容なので、みなさんもこういうことがあるんだなって読んでもらえたら嬉しいです。
トイレを流さないのはなぜ?
知り合いの勤めている保育園は、近所のマンションから通ってくる園児が多いそうですが、その園児の何名かが、毎回トイレを使用した後、流さなかったそうです。
そこで、初めは「トイレを使ったらちゃんと流そうね」と話していたそうです。
でも、いつまでたってもトイレを使った後に流さない。
「ちゃんと話を聞いていないんじゃないか。親は家でどんな教育をしているんだ」
とその知り合いは憤りすら感じていたと。
「この状況、どう思う?」
と聞かれて、僕はなぜかわからなかったので、
「毎回水を使うのはもったいないから流さないんじゃない?節水」
と答えました。まぁ、植田真梨蕙さんの歌詞を借りれば、『残念な想像力』ですね…。
でも、確かにおかしいな。トイレを流せっていつも言ってるのに、なぜ流さないんだろう?こいつ、嫌われてて嫌がらせされてるんじゃないか?いや、さすがに園児がそんな嫌がらせをするはずないよな。
なんて思いながら話を聞きます。
で、知り合いの話は続きます。
「さすがにさ、あまりにも長さなさすぎるからさ、『自分がトイレに入ったときに前の人が流してなかったら、どう思う?』って聞いたのよ。そしたら『嫌だ』っていうのね。だからトイレは流さなきゃいけいないものだってことはわかってるんだよね」
と言います。じゃぁ何で流さないんだろう?ますます謎です。
「でさ、聞いたの。『なんで流さないの?』って。そしたら何て言ったと思う?」
大人の常識と子供の常識の違い
そこで、園児から衝撃的な一言が返ってきます。
あなたは、園児が言った言葉。なんだと思います。僕には、その発想がなかった。
「で、その子が言ったんだよね。『なんで流れないの?』って」
ん?どういうことだ?知り合いに聞きます。すると、
「実はさ、その近くのマンションなんだけどさ、すべての部屋のトイレが 全自動 なんだよね。だから、トイレが終わると、勝手に流れるの」
それを聞いて、ハッとしました。
子供は、自分の見たもの感じたものでしか行動できない
トイレを流すのは常識として園児も知っている。でも、トイレは『勝手に流れるもの』という認識なんです。自分で流すトイレを知らない園児にとって、トイレとはすべてが勝手に流れるものという認識なんです。もちろん、親もそのことに気づいているはずがない。だって、親は自分で流すトイレのことを知っているし、子供も知っているものだと思っている。
なるほどな。そのコミュニティーで経験したことないことが他で起きても対応はできない。でも、周りの大人は当たり前だと思っている。
僕たちが子供だったこと、ファミコンがでてきて、それからテレビゲームがどんどん成長していく。ゲームボーイのように持ち運べるゲームも出てきた。その過程を見ている。でも、今の子供にとって、それは当たり前。パソコンだって、液晶テレビだって当たり前。
時代の変化から常識を考える
大人が感じてきた世の中の変化は子供にとっては当たり前ではないんですよ。電話だって、昔のものを子供は知らない。テレビにリモコンが付いているのも当たり前。
そのことに、大人が気付けるかどうか。ただ常識を押し付けるのではなく、その時代のバックグラウンドを見極めて、それから常識を伝える。トイレだったら、流し方を知らないんだろうなと大人が気づいて教えるところから始める。
大人の常識にとらわれていると、子供の考えていることにはたどり着けない。
それを、知る機会となった、良い話でした。