ケイタのしゃべり場

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言いたいことを書き連ねるブログ。

なぜ紀貫之は『かな文字』で土佐日記を書いたのか

日本最古のかな文字文学

土佐日記は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」という冒頭から始まります。現代語訳すると、「男の人が書いている日記ってやつを、私女だけどやってみようと思っているの!」的な感じです。紀貫之はもちろん男性ですが、女性のふりをして日記を書き進めます。平安時代は、男性=漢字、女性=かな文字 という風習がありました。なので、かな文字を使って文章を書くということは女性のふりをしなければいけなかったのです。 ちなみに、この土佐日記は、「日本で始めてのかな文字を使った文学」と言われています。 なぜ、紀貫之は女性のふりをしてまで『かな文字』で日記を書いたのか。その理由は、平安という時代背景・文化がありました。

894年 遣唐使の廃止

菅原道真が、遣唐使の廃止を朝廷に訴えた話です。有名ですね。道真は自分が遣唐使に任命された際に、もう唐へ渡る必要がないことを進言します。その理由として挙げられるのが、この時代の唐の律令はすでに機能しておらず、国自体が衰退の一途をたどっていたためです。実際に、遣唐使を廃止した13年後の907年、唐は滅び、新しく 宋 という国が出来ます。それを見越してか、道真は唐のことを学ぶよりも、国内に目を向けることが大事だと言いました。その後、日本には『国風文化』が根ざしていきます。文学や和歌など、貴族の優雅な生活を連想させる文化ですね。次第に、外国よりも国内のことが大事だと優先されていきます。国内でも、律令制度での紛争解決がままならなくなってきていた時代。「脱・外国」というところです。この遣唐使の廃止・国風文化という時代の考え方が、紀貫之土佐日記に反映されているのです。

なぜ紀貫之は『かな文字』で土佐日記を書いたのか

紀貫之土佐日記に戻ります。こうした時代の、国内への関心や唐の考え方の排除が、「『漢字』を使用しない書き方」に繋がっていきます。日本の文化であるかな文字を使用することで、今までの唐ありきの文化・政治を否定するようになったんですね。 その他の理由としては、『漢字だけで構成されている文章には、体温が感じられない。かな文字を使うことで文章に体温を持たせ、そのときの感情を全面に出せるようにしよう』というのがあったのではないかなと思います。感受性が豊かな女性が使っていた『かな文字』を旅の情緒を描く日記に使うことで、よりいっそうの感情表現が出来ると考えたわけですね。 日本の文化を大切にする。女性の感受性も大切にする。紀貫之さん、素敵じゃないですか。

書き方は現代に引き継がれる

そして、それから現代に至るまで、私達は文字を書くときに漢字とかな文字を併用しています。男女の区別なく。漢字とひらがなを組み合わせることで、より読みやすい文章、誤読しにくい文章を使うことが出来ています。これは、国風文化の中で紀貫之さん、そして遣唐使を廃止した菅原道真さんがつくった功績ですね。